トップページ>展示案内>過去の展示>戦争を憎む画家・平野亮彩
平野亮彩 人と作品
「私は、将来、楽しい絵描きになろうと思ったのですが、
いつの間にか戦を憎む絵描きとなってしまいました…」
亮彩が逝去(2011年5月)直前に残した言葉です。
画家・平野亮彩(本名:貞一) 大正11年、藤枝市岡部町に生れる。【写真は70歳の頃】
戦争中は海軍航空隊に所属し、戦争で兄や従兄弟、多くの戦友を失う。戦後は印刷会社の画室に勤務し、絵本のイラストや百科事典の挿絵などを描く絵師として活躍。
40代後半、休養中に訪れた埼玉県東松山市で画家・丸木位里(「原爆の図」で知られる)に出会い、その誘いで東松山へ居を移し、「自分の絵」を本格的に描き始める。
常に心にあるのは、亡き兄や戦友たちへの鎮魂の想い、そして平和への祈り。80歳を過ぎてからも、その想いは尽きることなく、祈りを絵にぶつけるように描き続けた。
東日本大震災に衝撃を受け、「核を怒る三不動」【右図】を完成。力強い不動明王を中心に描いたこの作品(縦1.9m、横3.7mの大作)が遺作となる。
【藤枝市郷土博物館・文学館のHPより引用】
展示作品から
【左】故郷へ帰る英霊(2009年。郷里・岡部町を偲び、兄平野勝治の英霊の帰還を描く。)
【右】嗚呼ノーモアヒロシマ(2010年)
亮彩が描いた絵本
展示場の様子
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