先の戦争では、数十万頭の馬やたくさんの犬、鳩などが、「物言わぬ兵士」として戦場へ連れて行かれたまま帰ってきませんでした。
毛皮を取って兵士の防寒具にするため、子どもたちの愛犬、愛猫も強制的に供出させられ、うさぎを飼うことが奨励されました。
動物園やサーカスでは空襲のときに逃げ出すと危ないという理由や、食糧難によるえさの欠乏で、象・虎・ライオン・ヒョウなどの猛獣をつぎつぎに毒殺したり、餓死させたりしたのです。
戦争の陰に、語られることのないまま、消えていった動物たちがいました。戦火に葬られた動物たち、もの言わぬ戦争犠牲者たちの展示をとおして、子どもたちが戦争について考えるきっかけになればと願います。
戦争で生命をうばわれた動物たちの物語
動物園のおじさん、なぜライオンを殺したの
1931年、エチオピアから上野動物園へアリーとカテーリナのライオン夫婦【写真左】はやってきた。
敗戦2年前の1943年8月、空襲への備えとエサの欠乏を理由に、2頭はほかの動物たちといっしょに、毒入りのエサを与えられ死んだ。アリーの遺体は剥製【写真右】として処理された。
そして、トンキーもしんだ
1924年に上野動物園へやってきたインド象のトンキーは、その芸で人気物になった。1943年8月、国の処置命令で毒入りのエサを与えたところ、毒の部分だけきれいにとり除いて食べるため、エサも水も与えないで餓死させることにした。
トンキーは芸をすればエサがもらえると思い、衰弱しながらもオリの中で一生けん命に芸をして見せたが、飢えに苦しんだ末、絶食30日後にようやく目を閉じた。
【写真左:17歳のトンキー。右側にいるのは花子。1936年撮影・秋山正美著「動物園の昭和史」より】
東京都では、敵の空襲にそなえて、上野動物園のライオン、トラ、ヒョウなどの猛獣を処置した。
どんなに人になれた動物であっても、はげしい衝撃にあえば、あばれだす恐れがある。
そうなっては、東京の治安は乱れ、都民の生命も危険にさらされる恐れがあるから、事前に処置したのである。
今回、犠牲になった猛獣たちは、戦争が終わって平和になれば、すぐ補充することになっている。
(昭和18年9月3日・朝日新聞)」 (井上こみち・作「犬の消えた日」より)
「もの言わぬ兵士」として、戦場へ送り込まれた動物たち
【出征する軍犬イルマ号、左側の建物は静岡県庁。】 【広東(中国南方)の難路を行く輜重(輸送)隊と軍馬。】
【左:軍用鳩=
軍隊で通信連絡のために使われる伝書鳩。】
【中:軍用うさぎのポスター。うさぎは毛が柔らかく、温かいことから、軍隊用のコートや帽子などに使われた。食用にもなることから、国はすべての家庭で数匹を飼うように呼びかけた。】
【右:命令で警察署に集められた犬。毛皮を取るために犬や猫も供出させられた。(金の星社刊「犬の消えた日」より】
犬の供出命令(町内回覧板・昭和18年10月)
お国のために、犬を役立てましょう。
犬の毛皮は、兵隊さんの防寒衣や、飛行隊の帽子として使います。
また、万一空襲があったときに、狂いだして人に危害を加えることも、考えられます。
犬を飼っているみなさん、お国のために協力してください。 (井上こみち・作「犬の消えた日」より)
展示場の様子
【左:展示場風景。】
【右:防寒コートは、裾の内側に羊の毛、袖先と襟に猫の毛、袖の内側にウサギの毛などを用いてつくられた。】
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