……67年前、空爆は静岡を焼き、今もなお世界各地につづく……
武力による制圧の手段として、いま世界では『空爆』が当たり前のようになり、空爆兵器も高度化して、空からの一方的な殺戮(さつりく)が続きます。
静岡市は67年前、アメリカの空爆によって2時間で2千人以上の市民が焼き殺され、市街は廃墟と化しました。しかし、1900年代前半に無差別空爆を繰り返して世界の人々から非難を浴びていたのは、日本とドイツでした。
今回の展示では、空爆の歴史をたどることによって、”空爆は何をもたらしたのか”を見つめ直します。
*静岡空襲の体験画(80点)もご覧ください。
【@写真下:1965年〜73年にわたり、沖縄やグアムの基地を発進して、北ベトナム(当時)を爆撃する米軍機B-52。A写真下左:日本軍は1938年から5年半の間、中国の臨時首都・重慶を200回にわたって無差別爆撃。B写真下右:1945年3月の東京大空襲での焼夷弾による犠牲者はは9万6千人に及ぶ。】
【@A吉田敏造/NHKBOOKS反空爆の思想。B警視庁カメラマン・石川光陽氏撮影。】
【写真左:東京麹町区九段の焼け跡での告別式。あり合わせの材料で拵えた棺の主は、左端の少女の姉。1945年5月26日、東方社カメラマン・光墨弘氏撮影】
陸軍の宣伝機関「東方社」の写真家たちが、写真部長・木村伊兵衛の呼びかけに応え、自らの良心と使命感に迫られて撮影した未公開の写真集『東京大空襲─未公開写真は語る』と、NHKスペシャル(2012年3月放映)取材班が、最新の米軍資料と生存する被災者・B-29搭乗員の証言により米軍無差別爆撃の全貌を解き明かした『ドキュメント 東京大空襲─発掘された583枚の未公開写真を追う』が新潮社から刊行(2012年8月)されました。
東京大空襲・戦災資料センターのホームページに本書の紹介が掲載されています。
リンク: 東方社の未公開写真が写真集になりました
【左:伯父一家の死/小長谷澄子/当時21歳】
【右:路上の死体/田中貞子/当時11歳】
【写真は展示の様子です。】
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