1943年(昭和18)、19歳のとき、相良町出身の紅林ことさんは、竜山福田女塾(開拓女子訓練所)の第2期募集に応じ、渡満した。女もお国のために何かしなければと思った。
半年の訓練を終えた後、見合いの話が来て山口県の開拓団の長谷誠さんと結婚。1945年2月男児出生。しかし、1週間で亡くした。8月6日夫召集。1年3か月の結婚生活だった。
ソ連の戦車に追われ開拓団は集団自決することになったが突き刺された刀が急所を外れたため、重傷を負ったものの生き残り、中国人男性に助けられた。そして、そのまま結婚するしかなかった。「ツバメになって飛んで帰りたかった」が、中国で女児3人と男児1人に恵まれた。
1972年の日中国交回復後、公安局から日本に帰れるようになったことを知らされて、郷里の父親に手紙を書いた。
中国の夫の死後、息子の家族5人を伴って永住帰国が実現したのは、1995年だった。
ことさんはその後20年以上を牧之原市で暮らし、逝去されました。