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オープン特別展示T
「空襲は語る」静岡・そして世界へ
〜今もつづく都市無差別空襲〜
第一次世界大戦後、初の都市空襲は、1931年日本軍による中国・錦州爆撃からはじまりました。それはナチスのゲルニカ爆撃、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、そしてアジア太平洋戦争末期のアメリカ軍による日本本土空襲、原爆投下、さらにベトナム、湾岸戦争、民族紛争へと引き継がれ、今日もなお、多数の人びとが殺りくされています。
日本空軍の重慶爆撃(1938年〜)

この展示は、静岡空襲の実物資料や体験記録などを中心に、都市無差別空襲の足どりと現状をたどりながら、「戦争とは何か」に迫る目的で開催されるものです。
広島に原爆投下(1945年)


期間/ 1996年10月25日〜1997年2月16日
会場/ 旧静岡平和資料センター


1996年10月25日(金)移転・オープン!!
静岡平和資料センターは、これまで静岡市中央体育館3階の一隅にありましたが、この年に静岡市の協力を得て相生町の中央ビル2階へ移転し、街の展示資料館として新しくオープンしました。


展示会のようす
● 展示内容 ● 展示室のようす(1)
T 無差別都市空襲の足どり
錦州爆撃・浜松航空隊もかかわる(1931年)
ゲルニカ爆撃(1937年)
重慶爆撃(1938年〜)
ロンドン、ハンブルグ空襲(1940〜1943年)
東京、そして浜松大空襲(1945年)
U 静岡大空襲は語る
1945年6月19日から20日未明にかけて、137機のB29による焼夷弾爆撃により静岡市街は壊滅、2000人の市民が焼死した。雨のように投下された焼夷弾。実物資料を中心に体験画、写真、記録などでその瞬間に迫る。 展示室のようす(2)
V そして原爆投下・敗戦・日本国憲法の誕生
W 今もつづく市民の受難
ベトナム、湾岸戦争、ソマリア、そして今もなお…
見学する女子生徒たち 見学者800人を越す
オープニング以来、会員のボランティアによる開館・展示説明が続けられているが、努力のかいあって見学者総数は800人を超えた。なかでも小中高などの児童生徒の見学が約350名(引率教員を含む)に達した。センターに近い伝馬町小、森下小をはじめとする小学生の参観が300名を越えているのが目立つ。団体見学の後、個々に質問をもって再び来館する児童も。

「センターだより」9(1997年2月15日発行)より

主催/静岡平和資料館をつくる会