B29と焼夷弾

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 アメリカ軍による本格的な本土空襲が始まったのは1944年(昭和19)11月でした。最新鋭の重爆撃機B29が投入され、日本の木造家屋を焼くのに適した焼夷弾の開発も進められていました。空襲は当初の軍事・軍需施設を狙ったものから、東京などの大都市無差別爆撃を経て、中小都市の爆撃へと移り、日本中を焼き尽くしていきます。静岡・清水も1945年6月と7月の2度の大空襲を含む計26回もの空襲を受け、街は壊滅状態になりました。

爆撃中のB29
爆撃中のB29(工藤洋三さん提供)

 B29は、第二次大戦中に登場したアメリカ・ボーイング社製の高性能の大型爆撃機である。全長約30m、最大航続距離は約9,000kmを超え、多くの爆弾を積むことができるため「超空の要塞」と呼ばれた。日本への空襲はほとんど本機により行われ、広島・長崎への原爆投下にも使われた。

 

焼夷弾の実物

 

静岡に投下されたM69焼夷弾

(松田八郎さん寄贈)

M19集束焼夷弾の構造図

 

M19集束焼夷弾頭部

(辻宣道さん寄贈)

M18集束焼夷弾尾部

(原川辰郎さん寄贈)

M19集束焼夷弾側板

(青島幸?さん寄贈)

 

M47焼夷弾

(青島幸?さん寄贈)

M50焼夷弾

(松田八郎さん寄贈)